2013年 08月 01日
希少性を希少価値とした後悔の日々
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先日のミミナシオオトカゲの件で、少しばかり意見を頂いた。
動物愛護関係の方々の苦言だが「絶滅に瀕している幻のトカゲを日本に持ち帰り、見世物にするのが世界的に凄い事として利益を得る事は遺憾である」また「発見したのであればその周辺を保護区として隔離し、生態系の存続に専念すべきである」と言った厳しい内容のものだ。
希少性があるにせよ、無いにせよ、捕獲派と保護派の意見が分かち合う事は無いだろう。
それにしても、日本人の「見つけたから俺の物」
「獲った者勝ち」的な考えと、それを行動に移した者が利を得る現実は、いつの時代も変わらない。
やはり、心が貧しい人種なンだろう・・・
私も昔は後先考えずに「大きなワニガメが欲しい」とショップに頼んだ人間の一人である。
そのワニガメが激減している現状を薄々知りながら、己の欲望に負け、アメリカの湖沼でひっそりと暮らしているワニガメを引き摺り上げ、ペットとして輸入し、飼育をはじめた愚か者である。
後に後悔し、現地の野生動物保護区へ帰そうと行動に移すも、正規では不可能と知り、その事を悔やみ「ならば責任を!」と現在に至る訳だが、その「欲しい」と願っていた当時の事を思い出しても、とても心の豊かな人間だったとは言えない。
ミミナシオオトカゲもその場所に生息していると分かった以上「2匹目」を探すのが人間の心理であるし「雌雄で保護し繁殖させる」との大義名分の下、探索する人間もいるだろう。
ダーウィン研究所で保護されているゾウガメのように扱われるのが理想だろうが、これまた現実は厳しいもので「誰が資金を提供するのか?」という難題から始めねばならない。
我々は、現地でひっそりと暮らしている野生の動物を「そっとそのままにしておく」事ができない人種である。
「欲しい」と言う欲望や「見たい」と言う願望に負けてしまう。
それがあるからこそ人としての生活が成り立っているのも事実なのだが、相手が「命」の宿る生き物の場合、思い止まり、過去を振り返り、反省する事も大切なのではなかろうか。
動物愛護関係の方々の苦言だが「絶滅に瀕している幻のトカゲを日本に持ち帰り、見世物にするのが世界的に凄い事として利益を得る事は遺憾である」また「発見したのであればその周辺を保護区として隔離し、生態系の存続に専念すべきである」と言った厳しい内容のものだ。
希少性があるにせよ、無いにせよ、捕獲派と保護派の意見が分かち合う事は無いだろう。
それにしても、日本人の「見つけたから俺の物」
「獲った者勝ち」的な考えと、それを行動に移した者が利を得る現実は、いつの時代も変わらない。
やはり、心が貧しい人種なンだろう・・・
私も昔は後先考えずに「大きなワニガメが欲しい」とショップに頼んだ人間の一人である。
そのワニガメが激減している現状を薄々知りながら、己の欲望に負け、アメリカの湖沼でひっそりと暮らしているワニガメを引き摺り上げ、ペットとして輸入し、飼育をはじめた愚か者である。
後に後悔し、現地の野生動物保護区へ帰そうと行動に移すも、正規では不可能と知り、その事を悔やみ「ならば責任を!」と現在に至る訳だが、その「欲しい」と願っていた当時の事を思い出しても、とても心の豊かな人間だったとは言えない。
ミミナシオオトカゲもその場所に生息していると分かった以上「2匹目」を探すのが人間の心理であるし「雌雄で保護し繁殖させる」との大義名分の下、探索する人間もいるだろう。
ダーウィン研究所で保護されているゾウガメのように扱われるのが理想だろうが、これまた現実は厳しいもので「誰が資金を提供するのか?」という難題から始めねばならない。
我々は、現地でひっそりと暮らしている野生の動物を「そっとそのままにしておく」事ができない人種である。
「欲しい」と言う欲望や「見たい」と言う願望に負けてしまう。
それがあるからこそ人としての生活が成り立っているのも事実なのだが、相手が「命」の宿る生き物の場合、思い止まり、過去を振り返り、反省する事も大切なのではなかろうか。
by wanigame1000
| 2013-08-01 00:43
| 所長の独り言