2012年 12月 05日
DEVIL MAN
|
私のような者でも動物と同居する事により「自問自答」と「自己犠牲」という二つの言葉を理解するきっかけを頂きました。
この二つを理解する事で、私が動物を飼育する上で最も大切な「おもいやり」が生まれました。
しかし、これは現代人が最も嫌悪するものでもあるのです。
自分に問い掛けず、自分で答えを出せない。
自分が一番大切。
そこからは相手をおもいやる精神は生まれてこないでしょう。
「何をキレイごとを言っているんだ!」
そう思われた方。
その精神こそが現代社会の軸になっているのかもしれません。
確かにどのようなキレイごとを並べても人間は自然を破壊しなければ生きていけません。
不遇な動物を1000体引取ったところで同じなのです。
助けた動物の数だけ糧となる動物の命が消えていきます。
いや、助けた動物が巨大な場合はそれ以上の「命」の消費があります。
例えそれが人間の食用に改良された家畜でも、害獣扱いされているザリガニやブルーギルでも同じです。
人間の身勝手でむやみやたらに殺していい動物などいません。
十数年前、人間が食材に感謝し「いただきます・ごちそうさまでした」と手を合わせるのと同じように「命」が宿る糧となるアメリカザリガニやブルーギル達のために供養塔を建てようと計画しました。
しかし、「命」の消費を供養塔でごまかすのではなく、私自信が全ての念を背負うべきと自覚し、塔の計画を中止しました。
聞けば美談でしょうが、矛盾です。
そう、矛盾・・・
全てが矛盾の上に成り立っています。
なのに何故私は飼育を続けるのでしょう?
生かすことにより生じる永遠の消費の削減に自身の食費も動物に分け与える。
己の身を削ることにより日々落ちる体重。
なのに何故私は飼育保護飼養を続けるのでしょう
何故、矛盾と分かっているのに前進するのでしょう
ある成功者は高級車を乗り回す。
ある成功者は布袋様のように肥太り腹が出る。
「全ての動物を処分すれば富士スピードウェイでランボルギーニを走らせる事さえできるのに、何故やらない?理解できない!」との諸先輩方の言葉に全く興味を示さない自分がいる。
何故なのだろう?
それを理解するために続けているのかもしれませんね・・・
と・何処かの教祖様のような歯の浮いたようなキレイごとで締めくくるつもりはありません。
断言します。
己の理解というエゴや欲望のために命を消費する行為は正義ではありません。
だから日本国中を探しても同じ事をする人間がいないのです。
いないから先駆者のように錯覚するのです。
理想は高いですが、本当に高いのは、誹謗・中傷を受ける確率と、不幸になる確率です。
だから私が「幸せを運ぶ正義の使者」になれる理由は何処にも無いのです。
でも・・・
不遇な動物を助ける事ができるのなら「悪魔」にもなれるのだけは事実です。
この二つを理解する事で、私が動物を飼育する上で最も大切な「おもいやり」が生まれました。
しかし、これは現代人が最も嫌悪するものでもあるのです。
自分に問い掛けず、自分で答えを出せない。
自分が一番大切。
そこからは相手をおもいやる精神は生まれてこないでしょう。
「何をキレイごとを言っているんだ!」
そう思われた方。
その精神こそが現代社会の軸になっているのかもしれません。
確かにどのようなキレイごとを並べても人間は自然を破壊しなければ生きていけません。
不遇な動物を1000体引取ったところで同じなのです。
助けた動物の数だけ糧となる動物の命が消えていきます。
いや、助けた動物が巨大な場合はそれ以上の「命」の消費があります。
例えそれが人間の食用に改良された家畜でも、害獣扱いされているザリガニやブルーギルでも同じです。
人間の身勝手でむやみやたらに殺していい動物などいません。
十数年前、人間が食材に感謝し「いただきます・ごちそうさまでした」と手を合わせるのと同じように「命」が宿る糧となるアメリカザリガニやブルーギル達のために供養塔を建てようと計画しました。
しかし、「命」の消費を供養塔でごまかすのではなく、私自信が全ての念を背負うべきと自覚し、塔の計画を中止しました。
聞けば美談でしょうが、矛盾です。
そう、矛盾・・・
全てが矛盾の上に成り立っています。
なのに何故私は飼育を続けるのでしょう?
生かすことにより生じる永遠の消費の削減に自身の食費も動物に分け与える。
己の身を削ることにより日々落ちる体重。
なのに何故私は飼育保護飼養を続けるのでしょう
何故、矛盾と分かっているのに前進するのでしょう
ある成功者は高級車を乗り回す。
ある成功者は布袋様のように肥太り腹が出る。
「全ての動物を処分すれば富士スピードウェイでランボルギーニを走らせる事さえできるのに、何故やらない?理解できない!」との諸先輩方の言葉に全く興味を示さない自分がいる。
何故なのだろう?
それを理解するために続けているのかもしれませんね・・・
と・何処かの教祖様のような歯の浮いたようなキレイごとで締めくくるつもりはありません。
断言します。
己の理解というエゴや欲望のために命を消費する行為は正義ではありません。
だから日本国中を探しても同じ事をする人間がいないのです。
いないから先駆者のように錯覚するのです。
理想は高いですが、本当に高いのは、誹謗・中傷を受ける確率と、不幸になる確率です。
だから私が「幸せを運ぶ正義の使者」になれる理由は何処にも無いのです。
でも・・・
不遇な動物を助ける事ができるのなら「悪魔」にもなれるのだけは事実です。
by wanigame1000
| 2012-12-05 00:37
| 所長の独り言