2012年 02月 09日
【訃報】
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8日、正式に(財)自然環境研究センターの方より連絡が入りました。
千石先生でお馴染みの千石正一さんが7日お亡くなりになりました。
私は物心付いた頃から幾多の動物を飼育し、
ワニガメの飼育から看板まで掲げましたが、
「天上天下唯我独尊」状態で他には全く興味が無く、高田先生や千石先生のような「超」が付くほど有名な方々の名前、いゃ、存在すら十数年前まで知りませんでした。
ですがワニガメやカミツキガメが縁で、千石先生とは一度だけですが会議と食事を御一緒させていただきました。
当時のワニガメ生態研究所の日誌には「さすがの先生」と記しています。
「荻野さんのやっているワニガメの保護活動は、
まるで得度を積んだ坊さんみたいだねぇ」
との言葉をかけていただいたこともあります。
クリーパーNo.58号に掲載されている鳥羽先生宛の追悼文の片隅には、自分の治癒せぬ病のことに触れていたのが気になっていましたが・・・
62歳といえば現代社会ではまだまだ若い年齢だと思いますし、遣り残した仕事に悔いを残されているとも思います。
「また会う機会があれば、いつでも会えるよ。じゃまた!」・・・
もうあの「千石節」が聞けないかと思うと残念で仕方ありません。
心より御冥福をお祈りいたします。
千石先生でお馴染みの千石正一さんが7日お亡くなりになりました。
私は物心付いた頃から幾多の動物を飼育し、
ワニガメの飼育から看板まで掲げましたが、
「天上天下唯我独尊」状態で他には全く興味が無く、高田先生や千石先生のような「超」が付くほど有名な方々の名前、いゃ、存在すら十数年前まで知りませんでした。
ですがワニガメやカミツキガメが縁で、千石先生とは一度だけですが会議と食事を御一緒させていただきました。
当時のワニガメ生態研究所の日誌には「さすがの先生」と記しています。
「荻野さんのやっているワニガメの保護活動は、
まるで得度を積んだ坊さんみたいだねぇ」
との言葉をかけていただいたこともあります。
クリーパーNo.58号に掲載されている鳥羽先生宛の追悼文の片隅には、自分の治癒せぬ病のことに触れていたのが気になっていましたが・・・
62歳といえば現代社会ではまだまだ若い年齢だと思いますし、遣り残した仕事に悔いを残されているとも思います。
「また会う機会があれば、いつでも会えるよ。じゃまた!」・・・
もうあの「千石節」が聞けないかと思うと残念で仕方ありません。
心より御冥福をお祈りいたします。
by wanigame1000
| 2012-02-09 00:30
| 所長の独り言